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DATE: 2008/09/10(水)   CATEGORY: 三島由紀夫
色即是空 三島由紀夫 豊饒の海

最近、巷では密かに三島由紀夫が流行っているらしいですね。で私も読んでみました。
「豊饒の海」四部作 
長かった… 
 でも、これだけの長編を一気に読ませる三島由紀夫の筆力は、さすがという他ありません。

実は私、この小説を読むのは二回目です。数年前に初めて読んだときは、その細密な描写の美しさ、技巧の鑑賞にとらわれて、結局物語の本質はわからずじまいでした。
そして今回、果たして「本質の理解」という目的は達せられたかと自問してみると、残念ながら否と答えざるを得ません。

思うに、三島由紀夫という作家は孤高の芸術家であったのではないでしょうか。はるかかなたの高みにいて、私たち読者にむかって「ここまで来られるものなら来てごらん」と挑発しているような気がします。
決して迎合しない、こんな骨のある作家が今の日本にどれほどいるでしょうか。
もっとも、大衆に迎合しなければ作品は売れません。すると「小説家」という職業も成り立たないわけですから、これもいたしかたないことかもしれません。
そう考えると、孤高を保ちつつなおかつ「小説家」であった三島は稀有な存在であったということができるかと思います。

三島がその最後の作品である「豊饒の海」を脱稿した時の年齢が45歳、「豊饒の海」に限らず彼の作品全体を通して受けるのは、その若さゆえか少し才気が走り過ぎかなという印象です。今となっては決して叶わぬ願いですが、五十台六十台の円熟期に入った三島の小説を読んでみたかったと痛切に思います。

さて、「豊饒の海」という作品についてですが、ストーリー全編の内容云々の前に、まずは各部を構成する描写の美しさそのものをじっくりと味わうべきです。
たとえば次のような
『傘を外れた雨滴がズボンを通して膝関節にしみいるように思われた。夜の冷気のなかでは、ほうぼうの関節に、しのびやかに苦痛の赤い花が咲いた。本多は目に見えぬその苦痛の花を、小輪の曼珠沙華のような花だと想像していた。梵語に云う天上の花、若いころは肉のなかに大人しく身を隠し、つつましくその役割を果たしていた骨が、だんだん声高に存在を主張し、歌い、不平を呟き、衰えた肉を突き破って、この肉のしつこい闇を脱して、いつも外光を浴びている若葉や石や樹々のように、かれら物象と同等の資格で思うさま外光の中に身をさらそうとして表へ飛び出す機会を窺っていた。おそらくその日の遠からぬことを知っていて…』 
    (暁の寺 36より)

こうした描写が全編いたるところに登場します。これらのすべてがある一点に向かって収斂していく様は、あたかも無数のせせらぎが合流し川を成し、一本の大河となり豊饒の海へと進んでいくのを、はるか上空から俯瞰しているかのようです。
読者は、その流れに身をまかせていればいいと思います。たとえ途中でせきとめられ、豊饒の海へ到達できずとも悲観するにはおよびません。

この小説の主題は「輪廻転生」です。いうまでもなく、輪廻転生は仏教における根本的な世界観です。その仏教は私たちに何を教えているでしょうか?
―すべては「空」である。
三島は天人五衰の安永透によって、輪廻転生を否定しました。そして月修寺門跡(綾倉聡子)の結末の言葉によって「豊饒の海」そのものまでも否定してしまいました。
まさに「色即是空 空即是色」です。
存在しない「豊饒の海」に向かってたどり着こうともがいている私たちを、冷徹な目で見下ろしているのが、三島由紀夫その人であります。
結局、三島はこの小説によって、仏教という宗教の内包するニヒリズムを顕かにしたかったのではないのでしょうか。

この小説のテーゼを理解するためには、仏教、唯識に関する洞察が不可欠です。そのあたりを補完した上で、再度挑戦してみようと思います。

三島由紀夫の本はこちらからどうぞ



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回収モード突入
最近、エヴァの「使徒再び」勝てなくなりました。そろそろ回収モードに入ったんでしょうか?

私、エヴァは初代から打っていますが、大当たり中に流れる「残酷な天使のテーゼ」がとても気に入っていまして、この曲を聴きたいがためにしつこく打ち続けています。
このところホールであまり耳にすることがなくなったので、先日とうとうAmazonで「DECADE」買ってしまいました。「残酷な天使のテーゼ」だけでなく「魂のルフラン」「心よ原始に戻れ」「FLY ME TO THE MOON」なども入っています。
車の中で聴いているんですが、運転中はいつでも大当たりの気分です。まあ運転中にあまりテンション上げるのもちょっとマズイかもしれませんが…

「DECADE」に収録されている曲の中で、上にあげた曲のほかに「月の迷宮」というのがあります。高橋洋子さんが情感たっぷりに歌っていて、私的には一押しの曲です。いい曲ですよ。
ビスティ様にお願い
もしエヴァの次のヴァージョン出す予定があるなら、ぜひBGMにこの「月の迷宮」を使って欲しいと思います。

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DATE: 2008/08/23(土)   CATEGORY: 未分類
麻原彰晃再び
オウム真理教の超能力開発講座が、その後どうなったのか知りたくて、アーレフのホームページを開いて見ました。→宗教団体アーレフの紹介
とてもきれいでわかりやすく、洗練されたデザインのホームページです。
それにしても「新世紀アクエリアスの宗教革命」とか「シンクロする真理と科学」などのタイトルを見ると、「使徒再び」にはまっている私としては、どうしても頭がそちらの方へいってしまいます。

というわけで、エヴァの「使徒再び」、やっと少し落ち着いて打てるようになってきました。導入以来ずっと空き台待ちの状態で、台を選べるような状態ではありませんでしたが、最近はホールに入ってすぐに座れます。
大当たり確率が甘くなった分、初期投資が少なくなったのはうれしい限りです。何度か打ちましたが、トータルの収支は別にして、初当りまで一万円以上かかったことがありません。シマを見渡しても1000回以上のハマリ台は見当たりません。しばらくはエヴァで遊べそうです。
ところで、きょうはじめて気がついたんですが、液晶画面の下のモノリスランプ、大当たり中はBGMにシンクロして点滅しているんですね。こんなこだわりが大好きです。

さて、アーレフのホームページについてですが、冒頭にも書きましたように本当に解りやすく洗練されています。しかしですね、内容がちょっときれいすぎるかな…
およそ宗教というものは、人間の欲望とそこに根ざした弱さ、汚さ、苦しみなどの救済が出発点であり到達点であると私は思います。もっと泥臭いものであるはずです。
もっとどろどろで、わかりにくくてもいいと思います。そのわかりにくさが内容の浅薄さを隠してくれるはずです。
いまさら量子力学、それもコペンハーゲン解釈なんか持ち出してきちゃだめですよ。
そっちの路線でいくなら、「超ひも理論の宗教的解釈」ぐらいやって見せて欲しいと思います。そもそも、宗教の教義を説くのに科学の力を借りようとするのが間違いです。

科学と宗教の違いのひとつに、反証可能性の有無があります。科学は常に反証される可能性があります、というか反証されなければなりません。それが科学の宿命です。
したがって、科学における理論はそれがどんなに完璧に見えても、「仮説」でしかありえません。つまり永遠に「真理」にはなり得ないのです。
それに対して、宗教においては(理論ではなく)経験にもとづく「真理」さえあればいい、そしてその「真理」を説くカリスマがいれば事足ります。
アーレフのホームページいくら読んでもカリスマたる教祖様の顔が見えてきません。

麻原彰晃の世界をご覧下さい。
「私は空中浮揚ができる」と言い切るだけの厚かましさ。
「必ずハルマゲドンが起こる」と予言する自信。
結局なにが言いたいのかわからない、わかりにくさ。
もしハルマゲドンが起きなかったらどうするつもりでしょうか?(実際起きませんでしたが)「わたしの法力でハルマゲドンを止めたんだ」とでも言うつもりだったのでしょうか。
しかしその内容はともかく、あの「どろどろさ」は見習うべきです。

要するに、教義の内容なんかわからなくてもいい、もっと言えばからっぽでもいい、大事なのは「経験する」ということです。

禅の世界に「不立文字」という言葉があります。これは「悟り」というのは文字や言葉によって理解できるものではない、実際に経験することが大事なのだ、そのために長い間厳しい修行をするのだという教えです。

経験無き哲学は説得力を持ちません。この「真理」をアーレフは知るべきです。
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DATE: 2008/08/15(金)   CATEGORY: 未分類
イニシエーション
オウム真理教の洗脳プログラムの中に、イニシエーションというのがありました。イニシエーションとは入門儀礼や通過儀礼と訳され、宗教的にはキリスト教の洗礼や密教の灌頂などが相当します。

オウムのイニシエーションは何種類かありますが、少しだけ紹介しますと、まずシャクティパットというもの。これは信者の眉間に親指で神聖なエネルギーを注入し、汚れたエネルギーと交換するために行います。
はじめの頃はグル麻原が自ら行っていましたが、上祐史裕らが正悟師になってからは、このイニシエーションを引き継いだようです。
これなどはごく普通の宗教的なイニシエーションです。

次に、DNAイニシエーション。
グルのDNAを培養した液体を飲むというもの。宗教的にも科学的にもどうかな?という感じはしますが、ありがたい尊師のDNAを戴くわけですから、それなりのお布施が必要であったであろうことは容易に想像できます。

そして、私が興味を持ったのがPSI(パーフェクトサーベイションイニシエーション)というものです。
これはコンピュータによって復元されたグルの脳波を、ヘッドギアから信者に直接インプットするという方法です。当時、ヘッドギアを装着した信者の姿がよくテレビに映っていました。やりすぎで精神に異常をきたした人もいたようです。
でも本気で研究すれば、五感を通さずに人間と人間、あるいは動物とでも意志の疎通がはかれるようになれそうな気がします。

先日、新聞で読みましたが、手足の不自由な人の義肢を、その人の脳波を読み取って物理的な操作なしに動かせる装置が開発されたそうです。
ということは同様に、他人に自分の脳波を増幅して送り込み、その人を思うように動かすともできるのではないでしょうか。多分、「倫理上の問題」により、こちらは実用化されないと思いますが。

ところで、志半ばで塀の向こう側の人となった麻原彰晃、自ら称するように真の超能力マスターであれば、「神足通」を使っていつでも塀の外に出られるはずです。法廷で裁判官にマインドコントロールをかけることもできるでしょう。
いつその超能力を発揮するのでしょうか?

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DATE: 2008/08/07(木)   CATEGORY: 未分類
超能力開発セミナー
昔、「潜在能力開発セミナー」というのが流行ったことがありました。「自分の目標を大きく書いて貼り出せ!」というやつです。今でもマルチ商法のセミナーなどで、同じようなことが言われています。「フェラーリの写真を引き伸ばしてトイレに貼れ!」とか…
それで本当に願いが叶うのなら、ある意味超能力ではありますが、私が探しているのは透視とかテレパシーなどができるようになる「超能力開発セミナー」なんです。

で、いろいろと調べてみましたら、それがあったんです。今はなき、あのオウム真理教です。
出家信者になろうとする人は、まず次のような洗脳プログラムを受けさせられます。
① イニシエーションと呼ばれる儀式で、対象信者に薬物を飲ませる。
② 食事や睡眠時間を極端に制限して、心身の疲労を蓄積させる。
③ 狭い部屋に長時間閉じ込めて、時間と空間の認識を破壊する。
④ 人格破壊の瀬戸際で、教義を徹底的に植え付ける。
⑤ 教義に違反すれば無間地獄に落ちると脅して、恐怖心を植え付ける。

こうして洗脳が完了した信者は、シッディコース、ポアコース、ヨーガタントラコースという三つのうちの、いずれかの修行のコースに振り分けられます。
このなかのシッディコースというのが、いわゆる「超能力開発コース」になります。
そして、シッディコースを修了すると六神道といわれる、次のような能力が得られるとされていました。

天眼通   千里眼、予知能力、透視能力
天耳通   地獄耳、遠くの物音を聞くことができる
他心通   読心術、テレパシー
宿命通   前世、今世、来世のことがわかる
神足通   テレポート
漏尽通   悟りを開く

なんのことはない、正法眼蔵からのパクリです。そしてオウムの修行の内容も、禅の修業と類似するところが多々あります。ところが、禅の世界では修業を成就し、「正師」と称されるようになるまでに何十年もかかってしまいます。それではハルマゲドンの勃発までに間に合いません。

そこでグル麻原が取り入れたのが、密教の「即身成仏」の考え方です。(「即身成仏」については過去記事の「シンクロ率上昇」のページをごらん下さい)
ある方法を行うことにより修行の時間を短縮でき、さらにその対価としてお布施を集めることができるという、まさに一石二鳥の効果が得られるその方法とは?
                               続きは次回です…
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